昨年の八月に友人が亡くなった。夜中にビル建設中の工事現場に忍び込み、高さ四十メートルのタワークレーンの先端まで自らよじ登った末、落ちて死んだ。
彼と最後に言葉を交わしたのは僕だ。酒を飲み、駅前で「またね」と言い合って別れ、次に会ったのは警察署の遺体安置所だった。
彼がなぜタワークレーンに登り、落ちるに至ったのか本当のところは分からない。警察は現場の状況から自死と判断したが、自らよじ登ったことはたしかだとしても落ちるという行為にどこまで自分の意思が含まれていたのか。遺書もない中で勝手に自死と決めつけられたことに彼は傷ついているのではないか、そんな風に思った。
だから死の直前まで一緒にいた者として色んな人から説明を求められた際、彼は足を滑らせて落ちたのだと説明した。登ったのは酔っぱらった勢いである。仕事柄高いところには慣れているし、たまに突飛なことをするヤツだった。
こうやって僕は〈分からない〉に蓋をした。といってもこれは彼の名誉を守っているようで、結局は何もできなかった自分を正当化していたに過ぎない。
「またね」という言葉を残して僕は彼から逃げた。二十年来の友人が見せたことのない目をしているのが怖くて逃げた。また今度飲んだときに話を聞いてやればいいと、逃げた。それだけは時間が経つにつれ明確に分かってきた。
年が明け、彼のことを何かに残したくて作歌を始めた。彼の死から五ヶ月が経っていたが相変わらずタワークレーンはそこにあった。改めて見るととても高くて、あの先端に彼は立ったのだと思うと足がすくんだ。怖かった。現場に来ても彼の気持ちは何ひとつとして分からなかった。
落ちたのか飛んだのかいや舞ったのか目撃者なし神も「知らね」と
定型にすがりつくように指を折り、こんな歌を作ると、短歌が〈分からない〉を受け止めてくれたようで、なんだか救われた気がした。
一年経ち、あの場所にはビルが建った。ときどき僕はそこに行き彼の歌を作っている。
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